【コラム】八朔祭と氏子

八朔祭の歴史は古く、江戸時代初期にまでさかのぼります。
参加していたのは、生出神社を氏神とする下天神町、早馬町、新町、仲町、下町、高尾町、新明町、新井、深田、中島、姥沢、四日市場の12町でしたが、その後時代とともに抜けていった町もあった反面、江戸時代末期には、上町、横町も加わっていたという記録が残っています。
この「おはっさく」を仕切るのが総行司(そうぎょうじ)で、年番制となっています。
当番になった総行司は、その年の祭りは「本祭り」とするか「居祭り」とするか決めなければなりません。
それによって、準備の日程や内容・費用などに大きな違いがあるからです。

(広報つる 平成10年10月号より)